バックナンバー 第21回~第30回

第21回 日本三大船神事『ホーランエンヤ』(2009)

日本三大船神事『ホーランエンヤ』
  図書館司書 田中 初美

  私のオススメ
   日本三大船神事『ホーランエンヤ』
   野津 龍著
   山陰中央新報社(2009)

 日本には三大船神事と呼ばれる祭りが存在する。
一つは大阪の天神祭である。西暦951年に祭の起源とされる禊(みそぎ)払いが行われた。それは神鉾(かみほこ)を流し、着地した場所に祭場を設けて渡御祭とする神事であった。途中中断したが長い歴史の断片で語り継がれ、今では7月に船渡御(ふなとぎょ)が行われている。
 二つ目は広島。平安時代に平氏が貴族の優雅な管弦の遊びを模し、神を慰めたと言われる。現在では6月に厳島神社から御座船を用いた壮大な管絃祭へ継承されている。
 そして三つ目はここ島根。江戸時代初期、徳川家康の孫にあたる松平直正公が天候不順による不作を嘆き、出雲国の五穀豊穣を祈り、稲荷神社の御神霊を船渡御する神事を興した。これは今年5月に執り行われるホーランエンヤ(城山稲荷神社式年神幸祭)の起源とされる。
どの神事も時代こそ違えど、神と水と人を結ぶ重要な祝祭として親しまれてきた。
 私が初めて島根のホーランエンヤを見たのは、前回御幸された12年前の事だったか。当時の状況を鮮明に記憶しているため、それ程前のようには感じない。壮麗な船上の舞である勇ましい男達の「剣櫂(けんがい)踊り」が印象的だった。この踊りはかつて、遭難しそうになった御神輿(おみこし)船を救助した際の喜びを表したものだという。
踊りひとつをとってみても、それぞれに深い歴史とその背景がある。
衣装ひとつをとってみても、その時代に隠された祈りと願いがある。
 このホーランエンヤが単なる祭事としてではなく、伝統行事として長く継承され続けてきた意味を知ってほしい。そのためにもまず、本書を手にとって読んで見てほしい。野津龍鳥取大学名誉教授が書かれた本書には、ホーランエンヤの成立や意義は勿論、鮮やかな写真により神事の色彩美を存分に伝えている。
 そして読み終えた頃には、歴史に思いを馳せながら、その勇ましい船団を見つめる事ができるだろう。また、この偉大な神事が島根県で行われることを誇りに思ってほしい。本書はそう思わせるに十分な内容を持っている。

第22回 『文化財探訪クラブ1~12』

文化財探訪クラブ
  管理課長 塩毛 利生

  私のオススメ
   『文化財探訪クラブ1~12』  
   山川出版社

 神々の国、出雲、その中心的な出雲大社では、毎年、除夜の鐘が鳴るといつもは開くことのない出雲大社本殿の八足門が開くので、皆その本殿前で柏手を打ち新しい年への願いを祈っている。
 昨年、平成の大遷宮に伴って本殿天井に描かれた「八雲」図が一般公開された。私もこの機会を逃すまいと、拝観に出かけた。高欄の付いた本殿の縁を一周してから直接拝観することが出来た。250年以上の時を経てもその色鮮やかな雲のすがたには息をつく思いであった。
 この本殿は国宝である。国宝とは、文化財とは、大社造りとは、八足門とは、といろいろと調べたいことが出てくる。そういうことを分かり易く教えてくれるのがこの『文化財探訪クラブ』シリーズの全12冊である。1冊の厚さ1センチ以内で手軽に扱え、写真、図版が多いので、見るだけで内容を理解することが容易である。
 史跡を訪ねる。寺社を巡る。町並みを歩く。その際に生じる疑問はほとんど解決してくれるのである。内容は幅広く仏像、庭園、古文書、考古学まであるが、特に私がよく手にして読むのは『寺院建築』『神社建築』のあたりだろうか。
 この本を手にしてから訪ねることにした京都知恩院、東福寺、東京増上寺の三門(山門)はその巨大な木造建築物に圧倒された。この本のとおりであった。
 そのほか塩竃神社、宇佐神宮、臼杵磨崖仏、脇町の町並み、錦帯橋などを訪ねた。いずれもこの『文化財探訪クラブ』で解説を再認識し、新たな文化財探訪への興味が沸いてくるのである。
 地元島根にも世界遺産を始め、古代遺跡、城跡、重伝建地区、寺院三重塔、埋没林、神楽など一度は訪ねてみたい文化財がたくさんある。是非この本をその際にも活用することをお薦めする。

第23回 『本を読む本』

本を読む本
  図書館司書 田中 初美

  私のオススメ
   『本を読む本』 
   M.J.アドラー,C.V.ドーレン著 
   外山滋比古,槙未知子訳
   新潮社学術文庫(1997)

 本書は1940年に米国で刊行されて以来、世界各国で翻訳され、
読みつがれてきた。著者によると、読書には4つのレベルがあるという。

(1)「初級読書」その文が何を述べているかを理解する読書
(2)「点検読書」系統立てて拾い読みする読書
(3)「分析読書」自分の言葉で表現できるようになるまで徹底的に読み込む読書
(4)「シントピカル読書」一つの主題について、何冊もの本を相互に関連づける読書

この読書法を実践すると、難解な本につまずいても、恐れることはなくなる。
理解できない箇所があったとしても、考えたり調べたりせず、まずは通読する。
そうすることにより、読者は時間をかけて読むに値する本かどうか見極められるようになるという。確かに、現在までに出版された本の数は計り知れず、限られた時間を有効に使うのは大切だと感じる。最終レベルになると、本にはっきりと書かれていない主題を自分で発見し、分析も可能になる。この点は論文を書く上においても役立つ。
 そして、本書は単なる読書法の紹介にとどまらず、ホメロスの『オデュッセイア』、アダム・
スミスの『諸国民の富』等、本の構想を述べた要約が紹介され、これらの良書と出会う
きっかけを作ってくれる。著者いわく、「すぐれた書物ほど読者の努力に応えてくれる。」
 この文には読者が著者と対話する積極的な読書により、自身を励まし、成長させるもので
あってほしいという著者の切なる願いが込められている。
本書も同様、その想いに応えたくなる。このように書くと難解な本だと感じるかも知れない。
しかし、著者が考え抜いた序文や目次により、拾い読みでも要約ができる。
本書もまた、文字通りの良書だと言えよう。

第24回 『ひと言の思いやり』−人生が豊かになる100の話−

ひと言の思いやり
  図書館司書 北井 由香

  私のオススメ
   『ひと言の思いやり』 
   金平敬之助著 
   PHP研究所(2008)             

 私は、この本を読む前に1冊の本を読みました。
「王子さまになったカエル」。そのタイトルに惹かれ、おもしろそうだったので手に取って読み始めました。
 しかし、この童話かと思わせるようなタイトルからは想像も付かないその内容は、「神経言語プログラミング」について書かれた本でした。何だか難しいもののように聞こえるかもしれませんが、要するに他者との関係、自分自身の心理、行動などをテクニックで改善、解決していこうとする内容。
 次に「ひと言の思いやり」人生が豊かになる100の話という本を読みました。
内容は、誰かを思いやる「ひと言」が人生を変える事もあるというものでそれに関する実話が書かれてありました。この2冊は、同じように他者との関係を良くし、自分自身も変われるという内容です。始めに読んだ方は、テクニックによって。もう一方の方は、言葉によって。
 言葉は、大切です。たった「ひと言」の相手を思いやる言葉によって救われ、変われることはあると思います。しかし、どの言葉を選べば良い方向に行くのかは、当然分かりません。心からの相手への思いやりがあってこそ、その言葉は活きるのです。
 一方、効果的に改善、解決を望んでいるならテクニックも必要な場合があります。
テクニックを身に付けることを望んでいる人もいます。この2つのどちらがいいとは言えません。似ているようで全くの別ものだと思いました。
 では、どうして今回、私が「ひと言の思いやり」の方をお薦め本として選んだのかというのは、思いやりを持っていかないといけない、思いやりを忘れてはいけないと自分自身に言い聞かせるためです。言葉を大切にしたいと思いました。みなさんとって大切な「ひと言」は、ありますか。

第25回 『小さな地名の調べ方』

小さな地名の調べ方
  図書館司書 飯島 久美子

  私のオススメ
   『小さな地名の調べ方-メディモリで調べ、アカレンで踊り、ダテマエで待つ-』
   上野智子著 
   和泉書院 2008年  (290.34 / 08ウ)

みなさんは「ダイコウ」「タイケン」と聞いてどんな漢字を思い浮かべますか?「代行」「体験」という字を思い浮かべましたか?では「大講」「体研」と書くと何を示すか分かりますね。同じように、「メディモリ」と「アカレン」も高知大学内で呼ばれている施設の通称です。「メディモリ」は「メディアの森」、「アカレン」は「赤レンガ広場」、「ダテマエ」は宮城県仙台市駅前にある「伊達政宗公の銅像前」のことです。
このように、ごく一部の人には当たり前だけど、一般には知られていない、ましてや地図にも載らない「小さな地名」を調査・研究したのが本書です。著者だけでなく、高知大学の学生が卒業論文やレポートのため調べた「小さな地名」や屋号まで紹介してあり、聞き取り調査で人によって異なる発音や名称を丹念に書き上げ集計するという手法まで掲載してあります。
島根県内にも海岸線に沿って「小さな地名」が残っており、釣りのポイントとして紹介されることがあります。屋号(門名)の残っている地域もたくさんあり、屋号の表札を掲げている地区もあります。しかしそれらの多くは口伝えで今に残り、その数も激減しています。「小さな地名」や屋号はその土地の歴史や家のルーツが分かる貴重な資料とも言えます。
みなさんの住んでいる地域には「小さな地名」や屋号がありますか?

第26回 『へそ曲がりの大英帝国』

へそ曲がりの大英帝国
  図書館司書 田中 初美

  私のオススメ
   『へそ曲がりの大英帝国』
   新井潤美著 
   平凡社 2008年  (302.33 / 08ア)

 本書によると、イギリス人は皮肉屋らしい。その反面、感傷的な性質も併せ持つという。タイトルに惹かれて手に取ったが、学生時代に日本史を専攻したため、イギリス(公式にはThe United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandと呼ばれる)についての知識がほとんどなく、読む時には少々気後れした。
 しかし、読み始めると、なぜイギリス人が上記のような性質を持つに至ったかを推測することができた。理由の1つとして、ヴィクトリア女王の時代、以前までイギリスにあった「放蕩・道楽・洗練・シニリズム」から「家族愛・道徳感・勤勉・実直」という相反する精神性を女王自らが示し、啓発したことが挙げられるのではないか。
 また、シェイクスピアやアガサ・クリスティ等の文学作品を通して民族性を理解することができ、これらの文学を読む機会を与えてくれるだろう。
 この点から言えば、『やんごとなき読者』(アラン・ベネット著、市川恵理訳、白水社)も推薦したい。こちらは特定の趣味を持ってはいけないとされる女王が、晩年になって読書にはまってしまうお話である。本書の終わりに新井氏が解説を書いておられるが、その中に、「日本の大学生は本を読まないと言われるが、学生達はヘンリー・ジェイムズの文体に辟易しても、それを自分の理解力の欠如だと考えて、作者をなじるようなことはしないだろう」とある。お話を読んでから新井氏の解説を読む。そして再度読み返すと、イギリス人の性質を感じることができるだろう。この機会に「イギリス的」な読書を体感してはどうだろう。

第27回 『てんきごじてん』

てんきごじてん
  図書館司書 北井 由香

  私のオススメ
   『てんきごじてん』
   鈴木心 写真 
   ピエブックス 2009年 
 
 日本人は、古くから様々な言葉で自然を表現してきました。
雲や雨、空、雪、風などの気象についても実に多彩な表現が存在します。  
この本には、風景写真とともに、その気象にまつわる様々な言葉(意味)が抜粋され、掲載されています。
その中で私が最も興味を持ったものは、「風」の名前です。
その他の雲や雪などと違い目で見ることができない、感じるだけの風に2000以上の名前があり、しかも、その他の自然現象よりもその数が多いと言われているからです。
 ちなみにその風の固有名詞は、以下のものに分けることができます。
 記紀、万葉などの古典に見られ「沖風(おきかぜ)」「朝風(あさかぜ)」のように普通名詞的なものが多く、叙景に使われるもの
 季節に特有な風名「東風(こち)」「神渡(かみわた)し」などで、俳句の季語としても使われるもの
 局地的な強風につけられた地方名で「広戸風(ひろとかぜ)」「山風(やまじ)」などのもの
 主として漁民などによって使われた民俗学的な固有名で「玉風(たまかぜ)」「日方(ひかた)」などのもの(参考資料:日本大百科全書/小学館/ 1985.8)
の風の名に関しては、柳田國男が「風位考」(参考資料:定本柳田國男集/柳田國男著/筑摩書房/1970.1)の中で『日本各地の風の名を比較して行くといふことは、單に國語の歴史を明らかにする為だけでなく、同時にその言葉を携へてあるいた人たちの、以前の生活を知る上にも、かなり大きな暗示であると思ふ』としています。
このことから風の名前は、ある程度の季節、天気を識別することで人々の生活に役立てられていたことが分かります。
 この本の中には、普段の生活の中では、馴染みのない「てんきご」や初めて知った「てんきご」が数多くありましたが、その言葉には、日本の歴史や季節をしみじみ感じました。
 そして、改めて日本語の美しさ、壮大さを知ることにもなりました。
これは、お薦めの1冊です。

第28回 『クレーの食卓』

クレーの食卓
  図書館司書 飯島 久美子

  私のオススメ
   『クレーの食卓』
   林綾野・新藤信・日本パウル・クレー協会 編・著
   講談社 2009年 
 
 パウル・クレーが食いしん坊だったとは、知らなかった。彼の絵はシンプルで色使いも暗めの色が多く、細い線で描かれた魚や鶏は模様のようでちっともおいしそうではない。
余計なものは描かないかのようなクレーが、食べものに関してはこと細かに記録していた。
 クレーは1919年に設立された美術と建築の総合学校「バウハウス」で1921年より教鞭を執り、基礎造形論・色彩論を講じた。クレーは講義の内容や講演の原稿の他に、日記や手紙など様々な記録を残している。そのバウハウスを退職した3年後の1933年、スイス生まれのクレーはナチス・ドイツから迫害を受け、故郷に亡命した。翌1934年から食に関する日記が始まっているが、その内容は日記というよりメモに近い。時には自分が調理したレシピも書き記していた。
 クレーは結婚した当初は主夫だった。ピアノ教師だった妻の収入が家計を支え、クレーは家事を担当した。クレーが調理を楽しむのは彼の叔父がレストランのオーナー・シェフだったことと、調理が芸術(創作)と通じる点があったからではないだろうか。食に対する好奇心が、生きる力となってクレーの創作を支えていたかもしれない。
 本書はクレーの日記に基づき、彼のレシピも再現している。クレーの得意料理だったリゾットや焼きりんごなど、画家の小さな幸福がこの本には詰まっている。

第29回 『リンゴが教えてくれたこと』

リンゴが教えてくれたこと
  図書館司書 田中 初美

  私のオススメ
   『リンゴが教えてくれたこと』
   木村 秋則 著
   日本経済新聞出版社 2009年
 
 私の娘が通っている保育園には、子ども達と先生が育てた野菜畑がある。去年は雑草もないキレイな畑だったが、今年は雑草ばかり、野菜より目立つほどであった。先生方は忙しいのだなと思っていたが、どうやら本書を読んで、今年の野菜作りに活かされたようである。そこで、私も読んでみることにした。
  表紙の写真には、本を書かれた木村氏が写っている。背景にはたくさんのりんごがなっている。いっさい農薬や肥料を使っていないにもかかわらず、ここまで育つのだ。しかし、りんごが実をつけるまでに約10年もの間、無収入時代を味わっている。妻の両親が長年やっていたように、農薬を使っていれば、普通に暮らせただろう。
  農薬や肥料を使わない自然栽培を選択されたきっかけは、著者自身も含め、家族が農薬による皮膚炎に悩まされていたからだ。思い切って自然栽培に切り替えたところ、りんごの木の葉っぱが全部落ちた。りんごに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、一本一本に謝りながら歩いた。
初めは応援していた近所の人や友人も、誰一人寄り付かなくなった。死のう・・・そう思って山に入ったところで、りんごの木を発見する。山奥に野生のりんご?著者がどんぐりの木を見間違えたのだが、なんと、そこで栽培に必要なものを発見するのである。この山にあるような、土に近づければいいのだと気が付いてからの農業は、結果が見えてきて、きっと楽しかっただろう。
  ただ、自然栽培といっても、何も手入れをしないという訳ではない。病気になれば食酢を薄めたものを撒布するし、秋には雑草を切る等、りんごにどう接したらいいのかをよく観察されている。
また、毎年、毎年、新しい課題が出てくるそうだ。この方法が正解だということはないのだとおっしゃっている。そのあくなき探究心が、奇跡のりんごを作り上げたのだと実感した。

第30回 『写真を愉しむ』

写真を愉しむ
  図書館司書 飯島 久美子

  私のオススメ
   『写真を愉しむ』
   飯沢 耕太郎 著
   岩波文庫 (2007年) 
 
 皆さんの携帯電話にもカメラ機能がついていると思います。わざわざカメラを買わなくても、気軽に画像を撮って楽しむことができるようになりましたね。
 世界で最初に写真技法が発明された1820年代では、写真を撮ることは実に大変な作業でした。「ダゲレオタイプ」と呼ばれる当時の撮影方法では、モデルは椅子に座って2時間くらいじっとしていなければならず、中には首を固定する台までついた椅子に座らされた婦人までいます。当時の写真は光と影の陰影を、直接金属板に焼き付けていました。一回の撮影で一枚の写真しかできず、しかも光に弱く劣化しやすいので、完成した写真はガラス板をかぶせて宝石箱のような蓋付の箱に大切に保管されていました。
 カメラの進化が進んで、プリントができるようになると、写真展を開催したり、写真集を発行する動きがでてきました。そして現代ではデジタルカメラとインターネットを使って、自作の画像をブログや写真集に加工することも簡単になりました。
 写真評論家の飯沢耕太郎氏は本書の中で「写真とは何なのか、写真に何ができるのかを考えれば考えるほど、それまで気づかなかった側面が見えてくる」と記しています。写真は小説と違って、写っているものが全てであり、見る側に想像する余地はそれぼどないと言えるでしょう。でも映像とも違っていて、写っているのはほんの一瞬の出来事であり、それを残そうとした写真家の意志が背後にあります。写真展を見て他者の視点を体感し、写真集をただ眺めるのではなく「読み解く」、そして自分で撮って表現し、写真の魅力に取り憑かれたなら集めてみる。この、「見る」「読む」「撮る」「集める」のどれか一つでも試してみたら、写真の愉しみ方が変わってくると思います。
 巻末に掲載されている飯沢氏お薦めの写真美術館に、山陰では次の3館が挙げられています。島根県立美術館ではダゲレオタイプの写真から島根ゆかりの写真家まで幅広い写真コレクションが鑑賞できます。津和野町にある桑原史成写真美術館では、津和野町出身のフォト・ジャーナリスト桑原史成氏の作品が見られます。鳥取県伯耆町の植田正治写真美術館では大山の雄大な景色と共に、植田正治の写真が愉しめます。
 松江キャンパス図書館の芸術コーナーにも、様々な写真集があります。動物の写真集を眺めて癒されるもよし、写真が映し出す真実に思いを巡らすもよし。あなたならではの愉しみ方を見つけてください。