バックナンバー 第1回~第10回

第1回 『禅僧になったアメリカ人』

禅僧になったアメリカ人
  松江キャンパス図書館長 河原修一  
  私のオススメ

   『禅僧になったアメリカ人』
   トーマス・カーシュナー著   
   禅文化研究所(2006)

 アメリカ東海岸のコネティカット州に1949年、カトリック教徒の医師の家庭に次男として生れた著者は、生来群れて遊ぶことが苦手で、内向的な青年だった。将来の生き方に悩み、失恋がきっかけで、自分自身とは何かと考え込んでいた十七歳のとき、友人の勧めで、鈴木大拙の英語による著作『禅入門』を読み、二十歳のとき、留学生として来日した。二十一歳で剃髪して長野県山中の寺で禅修行を経験し、二十三歳で静岡県龍興寺(臨済宗)で出家し、釈雄峯の僧名を戴き、神奈川県建長寺(臨済宗)の専門道場で修行生活が始まる。五十七歳の現在、京都の臨川寺の住職として、畑を耕す作務(さむ)に勤しんでいる。
 素朴に書かれた自伝(半生記)である。上手く書いてやろうという計らいがない。誰でもそうだが、道は平坦ではない。出家して三年目に、理想と現実のギャップに気づき、鬱に陥る(p183-189)。或る雲水(修行僧)から、「まあ、横になって、ちょっと休んだらどう」と声をかけられて、ふっと肩の力が抜けた。
 今までは、まわりがすべて鏡だった。自分しか映っていない鏡だった。そんな状態から、急にその鏡が窓になった。そんな開放的な感じだ─。(p191)
 その後も、出家を辞めて別の職に就いたり(師僧から破門されたり)、また出家に復したり(師僧から赦されたり)、四十七歳で腫瘍による大病をして死を覚悟したり、四十八歳で奇跡的に回復したり、紆余曲折があった。
 私自身は、病気をして死を意識して以後、「命と引き換えても欲しいという物の世界があるだろうか」と考えるようになった。そこから私が理想に思う生き方、その方向性がはっきり定まった。端的にいえば、それは「集める」生き方ではなく、「捨てる」生き方である。(p411)
 一、二年前に、住職に就いて、カーシュナーさんの新しい生活は始まったばかりである。
真価が試されるのは、これからである。現時点での心境は、本の帯に示されている。
 人生の荷物はできるだけ少ないほうがいい。自己をも捨てきれたら、他に願うことは何もない。(本の帯)

第2回 『少女の器』

少女の器
  健康栄養学科 籠橋有紀子
  
私のオススメ
   『少女の器』
   
灰谷健次郎著
   新潮文庫(1989)

        (C)角川書店

 学生時代、大学構内の木陰でゆっくりと本を手に取った至福の時間を思い起こしながら、私にとって忘れられない一冊を紹介したい。
 灰谷健次郎著「少女の器」との出会いは、当時、自分自身を見失いかけていた私にとって、運命的なものであった。多感な少女の気持ちが詳細なタッチで描かれており、いささか気恥ずかしさと読み続けることに躊躇を感じながらも、時間を忘れて読み耽ったことを覚えている。
 主人公・絣は、両親が離婚して母親と二人暮らしの少女である。恋愛関係のもめごとがつきない母親に対して、大人顔負けの批評をする一方、自分自身の足元が揺れている感覚を常に持ちながら生きている。しかしながら少女は、そんな環境に由来する自らの心の問題を正視し、厳しさと優しさの両方に刺激されながら、不思議なバランス感覚で自らの人生を前向きに生きている。その背景には、少女の成長を見守る存在があり、タフで豊かな感受性の持ち主たちが少女の支えになっている。登場人物の設定や描写がリアルかつ鮮明であり、読み返すごとに新たな感動を覚える。
 私は、この本をきっかけに灰谷健次郎氏の本を読み進めることになるのだが、一貫して鋭い観察眼と深い愛情をもって人と対峙する灰谷氏の姿勢に深く共感した。人間は様々な背景を持っており、一人として同じではない。持って生まれたものに、人生の各時期に起こる出来事があいまって、その人生はどんな色で彩られていくのか、将来のことは自分自身にさえわからない。「少女の器」の主人公は、置かれた環境で精一杯生きる中、周囲の人々から大切なものをもらい、そして気がつかないうちに与えてもいる。自分自身あるいは他人との対峙の中で、どんな彩りのある人生になるかは、結局は自分次第であるという、ごくシンプルなことに気づかせてくれたのは、灰谷氏の著書であった。
 これまでの人生について考え、これからの人生をいかに彩っていくのかを考えさせられる一冊である。

第3回 図書館おすすめの本  

                  佐々木 典政著 ← 著者インタビューはこちら

佐々木 典政著「写真集 島根の滝」        1986年 武永印刷
「水の都・松江」               1989年 渡部総合プリント
「隠岐の記憶」              1993年 千鳥印刷
「写真集 宍道湖・中海」 1996年 柏木印刷
「続 隠岐の記憶」           1998年 ハーベスト出版
                   「稲作の風景」                 2000年 北斗社

 みなさんは、どんな時に写真を撮りますか?
旅先で撮ることもあれば、お友達をケータイでパシャッと撮ることもあるでしょう。
 写真の歴史は今から168年前に遡ります。発表された当時は「記憶を持った鏡」と称されました。1枚の写真からその当時の記憶が蘇ったり、写された当時の歴史が紐解けたりすることは、今も変わらず写真の魅力となっています。
 そんな写真を趣味で撮り続け、写真集にまとめている方が本キャンパスにいらっしゃいます。普段は教務学生課長として多忙な日々を過ごしておられますが、休日はカメラ片手に東へ西へ・・・。オブジェのような稲はでや、躍動感あふれる隠岐古典相撲の様子、漁やレジャーで宍道湖に集う人々などバラエティに富んだ写真の数々で、島根県の知られざる魅力を私たちに伝えると共に、貴重な郷土資料となっています。

第4回 『バッテリー』

バッテリー
  健康栄養学科 兼折真由美

  私のオススメ 
   『バッテリー』
   
あさのあつこ著
   角川文庫(2003)

        (C)角川書店
 私がこの夏出合った一冊は、『バッテリー』という本です。
一人ひとりの登場人物が、誰でも主役になれるくらい個性、意思を持って書かれているし、そのときの風景、空気もつたわってくるくらい、とても丁寧に書かれているので自然と話の中に引き込まれていきます。
 一つのミットに向かって、自分の最高のボールを投げる続けるためだけに生きている天才少年。人と関わる事をきらい、どんなチームであろうと関係ない、自分が投げられさえすればいい。そんな自信のかたまりの彼が中学に入り、新しいチームメイトや様々な人たちと出会う事で、今までになかった感情にとまどい悩みながらも投げ続けていきます。そして、彼に出会った周りの人たちも、彼のボール、強い意志に引かれて様々な思いを抱いていきます。
 いくら天才でも、何もしないままでは天才にはなれません。日々続ける事、目標、意思を持つことで、自分の力を超えていくことができるのだと思います。けど、ひとりの努力では限界もあり、見えてこないものもたくさんあります。
 野球にも社会にも人それぞれの思い、持ち味、役割があって、それを認め実感できたとき、また新たな発見、スタートがきれるのだと感じました。
 今年の高校野球、この本に出合ったおかげからか、いつもとは何か違った感動をもらった気がします。野球に興味のない人でも、一度本を手にとってみてください。何か伝わる感動があるはず・・・

第5回 『女たちが変えたピカソ』

女たちが変えたピカソ
  保育学科 福井一尊

  私のオススメ
   『女たちが変えたピカソ』
   木島俊介著
   中公文庫(1998)

 「ピカソ」は誰もがその名を知っているアーティストである。自宅の本棚を探すと彼の作品が載った本が一冊や二冊はあるであろうピカソ。でも、本当はよく知らないピカソ。どこがいいのかイマイチぴんとこないピカソ。
 本書はそんなピカソがどのような背景で作品を生み出すに至ったのか、その作品制作の中心ともいえる位置にいた何人かの女性たちはどのような人物か、彼の91年間の生涯とは如何なるものであったかを人間性、芸術性両側面から解明を試みたものである。恋人が変われば、その生活が変わり、作風が変わる。しかもそれは劇的に。ピカソが残した「私は恋愛の情に駆られて仕事をする」という言葉が示すように、まさに愛が作品の中にどっかと横たわっているのだ。この間違いなく20世紀を代表する芸術家が紡ぎ出した愛の言葉を辿ることで、21世紀を生きる我々の心の中に何が必要で、何が必要でないのかをぜひ、読み取ってもらいたい。
 そして、彼が描きたかった愛の形そのものがいかなるものであったか、美しい画集と共に読み進めてみてはいかがだろう。

第6回 『女性の品格 −装いから生き方まで−』

女性の品格
  管理課職員 須田真理子

  私のオススメ
   『女性の品格』 
   坂東 眞理子著
   PHP研究所(2006)

 少し前、話題になったベストセラー「女性の品格~装いから生き方まで~」。
この本には、強く、優しく、美しくそして賢い女性になるための66の法則が書かれており、生き方、立ち振る舞い、一人の時間の過ごし方など、ひとつひとつを丁寧に過ごすことで「女性としての品格」が自然と生まれてくる、とあります。
 最近、「品格」という言葉がよく使われますがこの本の中で言われているのは「品格=常識・基本」ではないでしょうか。「約束をきちんと守る」「大きな声ではっきりと話す」等など、この本は、人の振り見て我が振りを見つめ直すという心持ちで読むと、今の自分がよくよくわかります。
 また、女性の社会進出・活躍についても、厳しい経済社会のなかで品格をもって生きていくためにはどうしたらよいか、しっかりとした識見をもち、一目置かれるような社会人として生きていくためにはどうしたらよいか、いろいろな角度から書かれているので、就職活動の参考になるのではないかと思います。
 女性はもちろんのこと、男性にも一読をお勧めしたい内容です。ぜひぜひ、この本を読んで素敵な社会人に成長しましょう。

第7回 『カラマーゾフの兄弟』1~4+5エピローグ別巻

カラマーゾフの兄弟
  総合文化学科 岩田英作

  私のオススメ
   『カラマーゾフの兄弟』1~4+5エピローグ別巻 
   ドストエフスキー/亀山郁夫訳
   光文社古典新訳文庫(2006)

 学生時代のひと夏、蒸し暑いアパートで、この長大な物語を読んだ。
 高校時代からロシア文学、ことにドストエフスキーは好きだったので、夏休みを利用して、その代表作を読んでみようと思ったのだ。
 読後、寝転がって、しばらくは天井を見つめたまま、身動きができなかった。
 わけのわからぬ力が僕を押さえつけて、がんじがらめにしてしまったようだった。
 自分の根っこの部分から揺さぶられて、読む前とは違うところに立っているような気分がした。具体的に自分のどこが変化したのかはよくわからない。ただ、この小説を読んで、人間のすごさがわかったような気がする。いいも悪いも両方の意味で。
 ロシア生まれのこのとてつもない小説が、このたび日本で、約30年ぶりに新訳された。
僕が学生時代に読んだのは原卓也訳。新しい亀山訳はまだ読んでない。魂の洗濯を、この新訳でしてみようと思う。
 ドストエフスキーに興味のある方には、あわせて「ドストエフスキーの生活」(小林秀雄、新潮文庫)をおすすめする。

第8回 『脳内汚染』/『未来をつくる図書館−ニューヨークからの報告−』

脳内汚染未来をつくる図書館-ニューヨークからの報告-
  総合文化学科 堀川照代

  私のオススメ
   『脳内汚染』 
   岡田尊司著
   文藝春秋 刊(2005) 
   『未来をつくる図書館-ニューヨークからの報告-』
 
   菅谷明子著
   岩波新書(2003)

 背筋が凍るほど恐ろしい話である。
 ゲームやネット,有害な情報や疑似体験は,脳のなかを汚染する毒物であるという。
 筆者は,少年犯罪の問題の根底に横たわっている原因を探ろうとして,この事実にたどり着いた。ゲームやネットなどの依存的メディアへの耽溺は,麻薬や覚醒剤などの慢性使用と同様に,脳の前頭前野の機能の低下を引き起こす。前頭前野は,さまざまな情報や情動を統合し,決断を下し,危険を回避し,行動をコントロールするところで,この前頭前野の発達が,ヒトがヒトたる所以であるという。「後悔しない,キレやすい,感じない」という特徴は,この機能の低下によるものである。
 「今,世界で起きている事態は,未開の地や宇宙からやってきた新型ウイルスが,またたくまに世界を席巻し,人々を冒しているさまに酷似している。
 人間の脳は,自らが生み出した高度に加工された情報の魔力に対して,免疫をもたないのである。・・・・・・高度に加工された興奮性の情報は,人々の脳にとりつき,やみつきにさせ,その結果,人々の中枢神経系を蝕んでいく。さらに,危険で有害な情報は,遺伝子兵器さながらに,脳に"感染"すると,シナプスや受容体の構造さえ組み替えて,一生を左右するほどの影響力と呪縛力を人間の心に及ぼしてしまう。」(p.277)
 そこで登場するのが図書館である。
 図書館情報学を研究領域としている筆者にとって我田引水ではあるが,「図書館が日本を救う」とのたまわった御仁もいる。図書館は,先人の文化を引継ぎ,今の文化を後世に伝える。文化・情報の拠点であり,読む力・情報を使う力を人々に培う。
 ニューヨーク公共図書館を描いた『未来をつくる図書館:ニューヨークからの報告』(菅谷明子著 岩波新書 2003)は,先進的図書館サービスの物語である。著者は,図書館を「アイディアを育む"孵化器"」と表現している。ゼロックスのコピー機やポラロイドカメラ等,図書館から世に送り出されたものは数多い。人がさまざまな場面に遭遇し判断を求められるとき,新しいものを生み出そうとするとき,古今東西の知識の集積がどれほどのひらめきを与えてくれることか。図書館は人々の,さらには国の未来を作るお手伝いができるのである。
 これからの日本を担っていく皆さんに,ぜひ上記2冊の一読をお勧めしたい。

第9回 『利己的な遺伝子』

利己的な遺伝子
  健康栄養学科 直良博之

  私のオススメ
   『利己的な遺伝子』増補新装版

   リチャード・ドーキンス(著)
   日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二(翻訳)
   紀伊國屋書店 刊(2006)

 「学生の時分に,マルクスかフロイトにかぶれなかった人間はバカだ」と言ったのは筒井康隆という小説家らしい。とても嫌らしい表現だが,何となく分かる気もする。彼らの理論は,「社会・経済」とか「心」といった,とても複雑な対象をすっきりと説明してくれる(ような気がする)からだ。
 生き物の世界で,それらに相当する理論は何か,と探してみると,本書で提唱された「利己的遺伝子」という考えたかではないかと思う。この理論にもとづけば,「なぜ男は浮気したがるのか?」などを含めた,複雑に思える生き物の行動原理がとてもすっきり説明できる。
 大学三年の冬,本書の共訳者でもある日高敏隆先生の集中講義を受けたとき,行動学に関する一連の理論の中でも,かなり「極端な説」として紹介されたことを憶えている。本書の原題は『The Selfish Gene』,そのまま「利己的な遺伝子」というものだが,日高先生によると,直訳したのでは一般の読者には分かってもらえないだろうと考え『生物=生存機械論』という邦題で出版したんだ,との事だった(その後,考え直したらしく現在の邦題へと変わった)。さっそく本を買い求め,そこから仕込んだネタに,多少自分の解釈を加え同級生にあれこれ吹聴したが,今にして思えば,それが「かぶれている」状態だったのだろう。
 生き物の主体は「遺伝子」であり,ヒトやタンポポなどの「個体」は単なる遺伝子の乗り物にすぎない。遺伝子は乗り物を乗り換えながら,自分自身を増やすために利己的に振る舞う,というドーキンスの理論は,意外にも正統派ダーウィニズムとして多くの賛同者を得る一方で,「宿敵」であるスティーヴン・J・グールドなどから強い批判も受けて来た。初版が1976年なので,もう古典といっても良いかも知れないが,いまだに強い「かぶれやすさ」を持っている。

第10回 『知的生産の技術』(1969)

知的生産の技術
  健康栄養学科 坂根千津恵

  私のオススメ
   『知的生産の技術』
   
梅棹忠夫著 
   岩波書店(1969)

 本書的に言う「知的生産としての読書本」に出会えたので紹介したい。「知的生産」とは著者によると知的情報の生産、考えることによる生産らしい。具体的な作業としては、(1)資料をさがす(2)本を読む(3)整理をする(4)ファイルを作る(5)考える(6)発想を定着させる(7)それを発展させる(8)記録をつける(9)報告を書くという工程である。公的私的、規模や頻度は違えども誰もが行うことであろう。現代ではこの知的生産を助ける道具として、コンピュータを代表とする様々な機器が存在しており、実際私もかなり依存している。むろん本書の時代にそのような先進的なものは普及しておらず登場するものは写真機、テープレコーダー、万年筆などであるが、著者が次のように予見していることに深く感動した。「コンピュータが家庭にまでいりこんで、それを操作することが人間としての最低の素養である、という時代がくるのは、もう少し先のことかもしれない。」人間としての最低の素養であるかはさておき、家庭でコンピュータを操作するのは珍しいことではない時代になっているからだ。
 もう一つ、始終登場する道具がある。それは「カード」である。『神々の復活』という小説の中で、主人公のレオナルド・ダ・ヴィンチは何の役にも立ちそうにないことまでも克明に手帳に書き込む奇妙なくせがあり、著者はかれの精神の偉大さに影響を受け自らも「発見の手帳」と名付けて実行している。後に改良を加え手帳からカード・システムへの規格化までも行っている。私は、現代ならコンピュータを用いてその記録、保管、整理を行えるだろうと思いを馳せた。
 本書の知的作業のための道具や手段にはアナログな部分もあり、時代を感じさせられるが、その根底にある基本的な原理いわゆる「知的生産」は現代も変わりがなく、共感する部分も多くある。読み手の解釈によって、新たなる知的生産が行われることを期待したい。