私のオススメ本
第188回 多様な人と共に生きることを考えてみたい人にオススメ
松江キャンパス 地域文化学科 三成 清香
私のオススメ
『食べることと出すこと』
頭木 弘樹著
医学書院 2020年8月発行
私たちは、毎日、当たり前のように食べて、排泄をしています。すなわち、何かを入れて、出しているわけです。そうした意味では「人間は、食べて出すだけの一本の管」と言えます。レポートの〆切に間に合わないとか、またアイツにあんなことを言われたとか、アルバイトをずる休みしたいとか、憧れの人とどうにかしてお近づきになりたいとか、就職活動がうまくいかないとか、いろいろな葛藤を抱えている“管”です。
さて、カフカ研究者としても知られる著者頭木弘樹さんは、大学生(つまり、ちょうど皆さんと同じくらい)のときに潰瘍性大腸炎という難病に襲われました。ある日突然、下痢をするようになり、血便が出始め、病院に行ったら即入院。絶食、しかし、出続ける粘液や血液、「食べることは危険である」という観念の構築……まさに、食べることと出すことに甚大な問題を抱える“管”としての生を生きざるを得なくなったわけです。
このとき、筆者が向き合わなければならなかったのは、食べることに付随する他者とのコミュニケーションでした。私がこの本の中で最も印象に残っているのは、筆者が山田太一の「車中のバナナ」(『絶望図書館』)の一場面を引用し、そこに強く共感しているところです。電車で同席することになった老人が、バナナを差し出す。しかし山田太一は受け取らない。老人は他の乗客に渡す。他の乗客は受け取る。しかし山田太一は受け取らない。気まずい雰囲気が漂う。結局、老人は「いただきなさいよ。旅は道連れというじゃないの。せっかくなごやかに話していたのに、あんたいけないよ」と非難する……という場面です。
私たちは、共に食べたり飲んだりすることで、仲を深めることがあります。つまり、相手に差し出されたものを(あるいは食卓にあがったものを一緒に)食べることは、相手の存在を受け入れるというサインであり、共に食べることの拒否は相手の拒否を意味します。そして、そうした行為は好ましくないものとして批判の対象になり得ます。たとえ、潰瘍性大腸炎でバナナが食べられない体だったからだとしても、です。
自分がどんな病気を抱えているかとか、どんな価値観をもって生きているかとか、言いたくないこともあるでしょう。言う必要はまったくないのです。しかし、それを明示しなければ善意の暴力に打ちのめされてしまうこともあります。この本を読むと、これまでいかに自分が多くの人に善意のバナナを投げつけてきたか(少し)知ることができ、ハッとさせられます。一本でも多くの管が読んでみるべき本としてオススメします。
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